「死後は自然に還る」ということ・・・樹木葬をめぐって 2

樹木葬は一般に、墓石に代えて樹木や花を墓標にし、その下の地中に遺骨を直埋葬する葬送法とされています。数十~百万円単位で費用がかかる墓石の心配をしなくて済むこと、また、遺骨を骨壺でカロートに納めるのではなく土中に埋めるといった方法が、死後の自然回帰的イメージにもつながることなどが人気の理由のようで、公立の樹木葬墓地も登場しています。

でも、そうした今どきの樹木葬人気に対して、次のような苦言を呈す人もいます。
――「墓石、カロートを用いない点だけが、最近の樹木葬では注目されている・・・」

この発言は、ブログ『碑文谷創のはざまの日々-樹木葬10 周年で一関へ』の中で目にしたものですが、発言者は、岩手県一関市の大慈山祥雲寺(臨済宗妙心寺派)住職・千坂げん峰(ちさかげんぽう:「げん」は山へんに彦)さん。樹木葬の発企者であり、1999年に日本初とされる樹木葬墓地を開いたその人です。

墓石、カロートを用いない、つまり、花木を墓標にして遺骨を直埋葬することだけが樹木葬なのではない、と言っているような樹木葬の生みの親である千坂住職の発言。その真意、言わんとするところは、どういうことなのでしょうか?

それを探るために、千坂住職が発想し実践した樹木葬墓地第一号、一関市の「樹木葬の里」の起こりから辿ってみようと思います。それによって、樹木葬の定義や本質的な価値を再発見できるかも知れません。

墓地を所有して運営することは、お寺にとって経営基盤を確保する手段のひとつです。檀家さんを対象とした寺院墓地以外に、宗旨宗派不問とした霊園型の民間墓地を運営している寺が多いのは、そのためです。「樹木葬の里」も、基本的にはそうした寺院経営の事業という性格は、当然あったと思います。ただ、それが第一義の目的ではなかったところが画期的で、従来の墓地の概念を覆すような価値を樹木葬に与えたと思います。

千坂住職はもともと地元の環境NPOのメンバーとして、一関市内を流れる一級河川・久保川の流域自然環境整備や木炭を利用した水質浄化などに積極的に関わっている方です。そうした活動の中で気づいたのは、自然豊かに見える東北の山林が、高齢化や過疎によって放置され、荒廃している現実でした。ふと見れば、寺に後背する山林もそうでした。
そこで千坂住職はその山林を買い取り、間伐や下草刈りなど森林再生の手を加え、山野草が自生しやすく、野鳥や昆虫も棲息しやすい環境を整えました。周囲の棚田ともマッチした里山の森づくりです。そして、この里山の環境を保全・維持していくための経済的裏付けも担保する手段として、墓石もカロートも用いない墓地-樹木葬を構想し、周辺住民の了承を得た上で約2万7千㎡の山林を「樹木葬の墓地」として行政認可を受けました。

つまり、自然を再生し美しい里山の豊かな環境を守り残していくために、山林全域を自然環境に影響を与えない墓地として整え、運営管理と環境保全を一体的に行うというのが、日本初の樹木葬墓地「樹木葬の里」の趣旨であり目的なのです。
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」の仏語を想起させるような、この目的・趣旨の背景には、里山の環境荒廃への危機感だけではなく、従来の、自然を切り崩して造成・整備するのが当たり前となっているような、大都市近郊でよく見かける墓地開発への批判も籠められていることが感知されます。

さらに、この樹木葬墓地は「花に生まれ変わる仏たち」というのがコンセプトですが、その運営の仕組みに、一種の悠久のストーリーがあるように感じられます。
ここを墓所と定めた人たちは、生前からその里山を訪れ、植樹などの自然再生にも参加しながら親しみ、死後はそこで好きな花木の下に眠り、やがて里山の自然の一部となっていくことによって、後の時代にまでその環境を守り残していく・・・という、まさに「死後は自然に還る」という回帰・循環の物語です。

その物語に共感する人は、近隣県内を越えて東京首都圏を中心に全国42等道府県に及び、申込者(契約者)は2012年6月に1,900人。既に約950人の方が逝去し埋骨されたと聞きます(仏教ニュース)。

1区画分の墓域は半径約1メートル程度。深さ約1メートル程度の穴を掘って遺骨を直埋葬します。そこに周囲の植生や風土に合った低花木の苗木を植えて墓標とします。木の成長とともに遺骨は土に還っていくわけですが、墓石やカロート、慰霊碑や献花台などの人工物は一切設置せず、自然生態系の豊かな環境を保全します。墓域区画の使用料を原資に、墓地であり里山の森でもある自然環境を後世まで守っていこうという、意思と希望の物語が「樹木葬の森」の基盤です。
言われなければ墓地とは思わない自然豊かな森で、故人ごとの埋骨域は緯度・経度で確定されGPSで管理されているとのこと。運営には当初から祥雲寺別院の長倉山知勝院が当たっています。

いま大都市近郊にも増えている樹木葬墓地には、もとは自然破壊をともなう開発によって造成された墓地・霊園内に新たに整備されたものが少なくありません。「死後は自然に還る」のコピーが謳う自然も、多くは人工的に造成されたものであることは言うまでもありません。当然ながら、目前の荒廃や開発から豊かな自然を守り、再生保全して残すためにそこを墓所とするのとは、出自が異なります。
だからと言って、それを批判するつもりはありません。たとえ人工的に造成された樹林景観の樹木葬墓地でも、時を重ねれば、やがてはそこも自然豊かな森になっていきます。そのときに、その森が樹木葬墓地であることによって環境としても守られていくならば・・・・。(つづく)