柩が運ばれるとき

子どもの頃、霊柩車に遭遇すると「親指を隠せ。そうしないと、親の死に目に会えないから」と言われた方が結構いるのではないかと思います。いっぽう、霊柩車を見かけると「今日は佳いことがある」と言う人も、比較的年配の方には多くいます。

いずれも定かな謂われは分かりませんが、おそらく人は柩を運ぶ霊柩車を目にして、そこに自分とは無関係ではあっても、「死」に至った「いのち」の実在を直観し、それと出会ったことに何らかの意味を見出そうとしてきたのではないでしょうか。迷信には違いありませんが、そういう先人からの言い伝えには、少なくとも「霊柩車に出会うなんて縁起が悪い」といった「死」を穢れのように忌み嫌い遠ざけようとするのとは違う、道すがらのほんの一瞬にせよ、「死」=亡くなった「いのち」に敬畏を持って対する心を感じます。

霊柩車(厳密には「霊柩自動車」)というと、宮型(みやがた)と言って、運転席以外の車体部に木彫刻や漆・金工装飾を施して、神社や神輿を模した独特の屋根を載せた特徴的な改造車の印象が強いと思います。前述の迷信に言われる霊柩車も、どうやらこの宮型霊柩自動車のことのようですが、霊柩自動車にはこの他に、大型のステーションワゴンや高級セダンをベースに、フォーマルなレザートップのリムジン様デザインを施した「洋型」、一見すると霊柩自動車とは見えないようなワンボックスタイプの「バン型」があり、また、柩と一緒に多人数の遺族・葬送者が乗ることのできる「バス型」もあります。

宮型の霊柩自動車は昭和初期に登場して以来の歴史があり、「関東型」「名古屋型」「関西型」「金沢型」など地域によってデザインに特性があるのですが、近年はあまり見かけなくなりました。仰々しくて目立ちすぎると嫌う喪家が増えているのに加え、一部の自治体や公営火葬場では、宮型霊柩自動車の乗り入れを条例で禁止するケースが出てきたからのようです。

葬儀簡素化の流れにある今日、絢爛豪華とも言えるような装飾の宮型霊柩自動車で葬送の列を為すのは大時代的で、敬遠されるのは当然と言えば当然。とりわけ、近親者だけの小規模な葬儀で密やかに故人を送りたいと思っている喪家にとっては、尚更であろうとは思います。
いっぽう、一部の自治体や火葬場が宮型の乗り入れを禁止するのは、火葬場周辺住環境と居住者への配慮という理由からですが、背景には周辺住民からの苦情・要望が多いからということのようです。

たしかに、火葬場への経路となっている道路沿いや近隣に住む方々は、ほぼ毎日霊柩自動車が通っていくのを目にすることになるわけで、「死」を忌み嫌う人にとっては穏やかな気分ではいられないのでしょう。なかでも特異なデザインの宮型は、ある意味これ見よがしに映り、文句を言いたくなるのも分からないではありません。

しかし、宮型であろうがなかろうが、霊柩自動車は柩を運んでいることに変わりはありません。柩の中にあるのは、自分と同じくこの世に生を受け、その生を全うした「いのち」です。そういう「いのち」の旅立ちには、赤の他人のそれであっても、せめて寛恕の心で敬意を示すことができいないでしょうか。人は必ず死ぬのであり、いま生きている自分にもいずれ「死」は訪れ、同じ旅立ちを迎えるのですから。

宮型霊柩自動車(東礼自動車株式会社)の画像
宮型霊柩自動車(東礼自動車株式会社

(*葬儀用語として「柩」は遺体が納まっている棺を意味します。)